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ジャスミン革命の意味

 2010年12月に発端を得た、今回の騒動を簡単にまとめてみたい。
12月17日に26歳のチュニジアの青年が抗議行為、翌2011年1月7日に死亡。
この事件がFacebookなどSMSツールを媒介に広まり、1月11日までに首都
チュニスにおける大規模デモにまで発展。国軍の離反なども相まって、14日
に大統領が国外退去した。
 これに触発されたエジプトで、1月14日29年間大統領職にあったムバラク
の退陣を要求するデモが発生。Gooogle幹部のワニエル・ゴルムを中心に、
1月25日に反政府大規模デモが行われた。(当のゴルムは27日に消息を絶ち、
2月6日にエジプト当局より解放。)28日にも大規模デモが画策され、前日の
27日には民主化勢力の中心的指導者エルバラダイIAEA前事務局長が帰国。
28日は「怒りの金曜日」と呼ばれ、各地で数千人から数万人規模のデモが起こ
った。29日、デモ発生後、初めてムバラク大統領がテレビ演説するも、政府
内部からの非難もあり、2月1日次期大統領選への不出馬を表明。しかし、その
後も反体制勢力の拡大は収まらず、2月10日に首相府・人民議会を包囲、2月
11日に副大統領がムバラク大統領が全権をエジプト軍最高評議会に委譲し、
首都を離れたことを発表し、ムバラク政権は崩壊した。
 更に、バーレーンでも2月14日に反政府デモが発生、リビアでも2月15日に
発生し、現在も拡大中である。
 この一連の動きが示すものは、民主化運動への人々、特に若い人での渇望と、
その拡大速度の速さであろう。エジプトはアラブ諸国の中でも親イスラエルと
して知られ、国内の治安維持警察の強力さも有名であった。
 リビアもカダフィ大佐は強権的政治手法で知られており、こうした市民による
大規模デモが効果を得るとは考えづらい状況下にあった。
 一見、今回の騒動はアラブ諸国内でのイスラエル-アメリカによる傀儡政権を
打倒する例えば、イランなどのテコ入れがあるのではとも思われる。ただし、
そういった国以外にリビアや中国など独裁政権への批判が、インターネット上の
ツールを利用して広まったのも確かであり、ネット時代の新しい市民運動の動き
が顕在化したものだとも思われる。
 アラブ諸国は、もともと国の概念が相互に希薄で、第1次大戦後のオスマン帝国
滅亡後、人工的に国境が定められたに過ぎず、更に近年の石油価格の上昇、リー
マンショック後の欧米金融資本の弱体化による相対的地位の上昇から、民主化の
動きが高まりやすい土壌にあったのも確かであろう。
 今後、エジプト・チュニジアなどは治安悪化による観光収入の減少の影響も考え
られ、その動きにはもうしばらく注視が必要である。また、現政権後の統治手段が
どのようになるかも定まっていない。

 
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by e-principle | 2011-02-27 22:02 | 政治
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