syota.m THE PRINCIPLE

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日本代表に欠けているもの。

 まず、インセンティブである。 

 ベスト4入りしたら、個々の選手に1000万ずつ位の確約を
した方が良い。

 次にバランスの問題。

 中盤からの組み立てにパスが多すぎる。
 パスの本数が多いと得点になる訳ではないので、効果的な
パスを少なく送ることと同時に攻守にかける人数を考える必要
がある。

 全体で守り、全体で攻める。このような教えを受けている。

 これは、誤りである。

 全体で疎通するべきなのは、考え方であり、協力する意識
であって、実際に体を動かすこととは全くの別問題である。

 つまり、得点へつながる動きを見出せるのは、わずかな人
(わずかな機会)であって、それを見出したかを他が見出せる
かどうかである。

 また、その際、投入する人員も常時多ければ良いのではない。

 投入する人員はむしろ少なければ少ないほど良い。

 3人で済む局面に、5人いるからより良いという考えを取り
やすいが、仮に3人いる局面を2人で抑えれれば、5人いた
場合に比べ、逆に3人の余剰が生まれ、これを効果的に使え
ば良いのである。

 局面、局面での投入量のセンスが大事なのである。

 これが、日本にはなく、多すぎるか少なすぎるか極端である
ことがほとんどである。これは、運動量でも同じであろう。

 行き過ぎた全体主義の考え方を脱し、いかに効果的に局面
をうまく抑え、反転するかが決定的に考え方として抜けてい
る。

 これは、上の教えを守らないと罰則を受けるというような
小学校的な考えからまず脱し、自発的な動きに価値を見出す
こと、決定的な自立と協力関係の構築が必要ということだろう。

 
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by e-principle | 2010-05-25 07:28 | スポーツ

日本代表とは。

 日本代表とは何だろう。

 昨日のキリンカップ対韓国戦を見て深く考えて
しまった。

 個々の選手のスキルが過去より落ちている訳では
ないが、現在、どのスポーツも世界相手に勝てなく
なっている。

 これは、結果をどれだけ自分自身におきかえれる
かという問題に転換できる。

 今の日本社会で、スポーツで日本代表になるメリット
は少ない。圧倒的な鍛錬の成果が賞賛につながる事
は少なく、またその期間も短くなってきているためだ。

 勝つことへのモチベーションが少なくなれば、それに
相反して結果も出ない。

 要は、他人事の世界になってきたということであろう。

 日本代表が勝とうが負けようが自分の生活に大きな影響
があるわけではない・・・。

 こんな感じでは。

 実は、大きくあるんだけどね。気づかない。

 というより、国力とはそこに集約されるのだが・・・。 

 それだけ、日々、感受性が落ちてきているのだろう。

 それでも、団体スポーツの日本代表はまだましだ。

 個人レベルでの世界挑戦はもっとニュースにならない。

 うまく取り上げれば、大きくモチベーションが上がる
のだげど・・・。

 せめて歪んだ難しい世界で戦う錦織の全仏1回戦突破が
もっとニュースになればなあと思う。
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by e-principle | 2010-05-25 06:22 | スポーツ

普天間の「抑止力」

 普天間基地の問題を考える上で、よく言われる「抑止力」。
 
 この概念を用いる上で、基となるのが、冷戦が終わったから
米軍はもう必要ないというものである。

 確かに、冷戦後の米国は共産国であるロシアや中国との融解
が進んでいる。

 この意味で、反共の防波堤としての「日本」の役割は相対的
に落ちている。

 つまり、「抑止力」は米国側でも落ちているのである。

 海兵隊がアメリカ本国以外に日本の沖縄にしか配置されてい
ないことを考えると、ロシア・中国から脅威があった場合には
日本単独でなんとかできますよという何か保障力のようなもの
がいるのではないだろうか。

 現状、そのような外交力や政治力があるようにも見えない。

 つまり、「抑止力」とは、アメリカではなく、「日本」が
現状、包括的に保持しているかどうか判断すべきなのである。
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by e-principle | 2010-05-23 14:55 | 政治

デジタル化とは。

 一般にデジタル化とは、アナログの0と1への数値変換
のことである。

 デジタル化すると、一般化が容易になる反面、差別化が
難しくなる。

 例えば、多くの野球選手がいて、その能力が完全に数値
化された場合、おそらく現状の成績とは全く異なる並びがで
きあがるだろう。

 すなわち、デジタル化とは一見、整列的な動きに見えて、
実は同時に多くの不規則序列を生み出す混沌化を呼ぶもの
でもある。

 とうのアメリカはこのことをまだ分かっていない。

 つまり、グーグルがデータを集めて、デジタル化すれば
するほど、現実とは全く異なる空想の序列を生み出すだけ
なのである。

 デジタル化に頼ったアメリカが戦争に弱くなったことは
非常に興味深い一例である。
 
 また、あれほど熱心だった野球でも圧倒的な力を失って
いる。デジタル化を進めるとはそういうことなのだ。

 デジタルとはあくまで、プログラミングの概念であり、
全てを標準化に誘う。この中で、無理やり差異化を図って
も、それは成り立たないといえる。
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by e-principle | 2010-05-18 22:00 | 経済

性能の意味。

 「性能」という言葉がある。

 しかし、この概念、よく考えると非常に難しい。

 性能とは、そのものに含まれる価値・能力のようなもの
だが、性能が高いほど評価される訳ではなくなっている。

 何故なら、性能が高いほど使いやすい訳ではないからだ。

 しかも日本の携帯電話は多機能だが、必ずしも性能が高い
と評価されている訳ではない。

 多機能+高性能≒高価値でなく、

 単機能+使いやすさ≒高価値への流れが見えている。

 やはり、日本の携帯は高画素や様々な機能追加をもう追及
してもしょうがない。

 消費者への価格に転換されるだけだろう。

 それよりも、安く、世界中どこでも使えるようにすべきだろう。
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by e-principle | 2010-05-18 21:40 | 経済

アップルの躍進

 mac⇒i pod⇒i phone⇒i padというアップルの躍進が止まらない。

 時価総額でとうとうマイクロソフトを抜こうかという勢いだ。

 破壊的だといっても良い。

 macがコンピューターそのものを一般化した。
 i podは音楽そのものを情報化した。

 そして・・・

 アップルそのものがデジタルという概念の申し子のような存在で
あると言える。

 「もの」という物質に依存する日本にとって、天敵のような存在
かも知れない。
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by e-principle | 2010-05-18 21:21 | 文化